私流・食育
2008 / 06 / 24 ( Tue )
先日、私にとってはショッキングで大変興味深いサイトに出会いました。「マクロビオティックで育った子供たち」というサイトです。アトピーのため、お母さんの厳しい信念のもと、厳格で忠実なマクロビオティック食生活を20年体験した(させられた)子供が、今その体験をせきららに綴った子どもの立場で見るマクロビオティック生活の体験記。自らの意思でマクロビオティックなどの食養生を実践する方が多い中、自分の意思ではなく親の意思(信念)で実践し体験した方の話は、非常に貴重。深く考えさせられるサイトです。私も昔は子どもでした。今、母親という立場になり、二人の子どもを育てています。
教育は人作り。人は食が作り出す。
食生活は親が子へ贈る最大のプレゼント。
そういう想いのもと、厳格ではないながらも、学校給食で×なものは代替品を持参させたり、遠足のおやつは自然食品店のものか、家で作ったもの。コカコーラやケンタッキー、マクドナルドの味を知らずに育った長女も、もうすぐ8歳になります。
子どもにとって、親の言うことは全てです。親から排除されたら生きていけませんから。どんな親であっても、小さい頃ほど親に嫌われないよう、排除されないよう、必至で従おうとします。子ども自身も納得の上での服従ならば事は丸く収まるでしょう。ただそうでない場合…。私も実際のところ、将来子どもたちがどんな風に育つのか、正直暗中模索です。
マクロビオティックは、食生活の1つの方法でありながら、生き方そのものを示す思想でもあります。思想といえば宗教と同じで、それが良いとか悪いとかで判断できるものとは違います。私は厳格なマクロビオティックで体を壊した体験があります。だから、私には合わなかったんだな〜、と思います。だけど、マクロビオティックがものすごく体質に合う方も実際います。だから、良いとか悪いとかでは語れません。
かといって、毎日お肉ばかり食べても元気はつらつのお年寄りもいますし、合成添加物バリバリ食べ続けても元気な赤ちゃんを産む女性も確かにいます。こうでなければダメ、ということは、全ての面において「ない」と私は思うのです。そりゃ「人を殺したらダメ」とかいうのは例外ですけどね。
1番怖いのは、親の強烈な信念を、子どもというひとつの人間の人格や性格を無視して強制的に実践させてしまうこと…。子どもは1人の「人」です。たしかにカラダは小さいし、思考能力も大人には適いません。だけどそれでも、れっきとした「1人の人」なのです。その点をよくわきまえて、ある意味同じ人として、対等な目線で接することも時に重要かと思うのです。小さい内はある程度、強制的にでも「こういうもんだ」ということを躾なければならない部分もあります。だけど、子どもの様子を観察することもなく、有無を言わせず強行する強い信念、これは、教育という人作りの場において、果たして有効なのかな?と疑問に思うことがあります。
子育てにおいて、優柔不断はあまりよくないと思っています。「何食べる〜?」 「何でもいいよ〜」 という意味の優柔不断ではなく、「昨日は食べていいって言ったのに、今日はダメだってママが言う」、お弁当にするとあれほど言ってたのに、先生にちょっと何か言われたら、やっぱりやめた、などという優柔不断さです。
親が迷うと子も迷うのです。だからといって、強烈な信念を貫くのも危険な場合があります。結局のところ、1番大事なのは「子どもをよくみること」なんだと思います。手相や人相が皆違うように、子ども一人ひとりが違うはず。その子に良くてもあの子は合わないことってあります。
マクロビオティックや穀物菜食という食生活が、子どもという1人の人をどう作り上げて大人へと導くのか、社会との関わり方はどうなるのか、ひとえに、その子を育てる親に全てがかかっているような気がします。
子どもを「産む」ことは、犬や猫でもできます。難しいのは、その先の「育てる」ということ。子育てはものすごく大変ですが、ものすごく有意義です。子どもから教わることも数え切れません。
親は子どもを、「自分の意思で正しいものを選択できる技」を持つ大人に導く、「責任」と「義務」があります。大人にとってこれは重要な課題です。
私を含め、このことを理解していない親があまりに多いのです。理解していたら、あのような学校給食は考え付かないでしょうし、マクドナルドにも親子で行けないはずです。
将来子どもが、自分にとって必要なもの、自分にとっての正しいものを選ぶ能力、これを持っていなかったら生きていけません。たいていの親は子より先にこの世を去るわけです。残された子どもが自分の力でたくましく生きていけるよう、知恵と選択眼を身につけさせること。このことは、親は死ぬまでにやっておくべきことです。何でもかんでもしてあげることは、子どもにとって必ずしも幸福とはいえません。
「自分で正しいものを選択できる技」を持つ大人に導くこと。それは決して難しいことではありません。毎日の食卓の中で繰り広げられる食事。この1日3回の短い時間が、生きていくための様々なことを伝えてくれるドラマなのです。
あんなに硬いお米がどうしてこんなにふっくら柔らかくなるのか?
大根は白いのにスーパーの沢庵はどうして黄色いのか?
給食で食べる味噌汁と家の味噌汁では何で違うのか?
捨てられた食べ残しはこの後どこへ行くのか?
油料理のお皿を洗剤で洗うとどうしてツルツルになるのか?
あの店では100円で売ってるのに、ママは何で200円の豆腐を買うのか?
このお米は秋田県産なんだって。秋田県ってどこ?
料理を作って食べて片付ける、この一連の日々繰り返されるドラマの中に、理科も算数も地理も、食物連鎖の話だって、環境の話にだって結びつくドラマがあるのです。毎日繰り返される、老若男女、万国共通の「食べる」という行為。これが「ないがしろ」になりがちなこの頃。マクロビオティックだとか何だと語る以前に、食べるという行為そのものは、実は子どもをまっすぐに育てるヒントが山盛りなのです。
学校給食には、トックやポークチャップなど外国料理がよく登場します。なのに日本のあたり前のおかずである「お頭付き焼き魚」や「きんぴらごぼう」や「漬物」なんかは皆無なのです。学校給食に外国の食文化を取り入れているのは「国際化社会に順応できるように」との配慮があるそうです。
私は大変疑問なのです。「食」というのは、万国共通のものです。どの国に行っても、どの年代の人とでも、共通して盛り上がる話題は「食」の話題ではないでしょうか(あと色恋話と)。 日本人として、「日本の食文化」を知らずに国際人になったところで、果たして万国共通の話題である「おらが国の食べ物」について語れない日本人が増えるのではないか?と懸念しています。
極端な話、読み書き計算が出来なくても人は生きていけます。ただ「食べること」は、これが出来なければ人は生きていけないのです。食べることは生きること。 食は様々な物事を教えてくれます。食べたものが食べたとおりの体をつくります。あれダメ、これダメとは言いたくないですが、最低限子どもには「ごはん」と「味噌汁」を1日1回は与えてあげてください。素材は必ずしもオーガニックである必要はありません。愛情込めて、このひと口一口がこの子の血となり肉となる、このことを肝に銘じて下さい。食べ物は毒にも薬にもなるのです。その食べ物を料理するのが台所。だから台所を預かる人は、いわば家庭の薬剤師です。薬剤師は毒となる食べ物を与えないよう、知識が必要です。
まずは無知、無関心、無神経を改めることが重要です。そして、学んでください。知ろうとしてください。情報にあふれた今の時代、正しくアンテナを張れば、入手できない情報はないほどです。色々な情報を入手しても全てを鵜呑みにせず、自分なりのふるいにかけて、無理のない方法で自分スタイルを見つけることが大切です。すべての情報や意見は、あくまで参考でありヒントに過ぎません。結論は何事も「自分」でだすしかありません。その結論を出すための努力をおしまないことも大切です。
親であること、親になったことは後戻りできません。真の「丈夫な子ども」に育てたいのであれば、日々の食生活と親の気持ちを明確にして、毅然としたスタイルで楽しく暮らしを紡ぐこと。
すべての物事を、すべての暮らしぶりを、子どもはちゃんと見ています。それを糧にして育っていきます。いつか自由なお金を持つようになった子どもは、多少の冒険はしてくるでしょう。その時はやさしく見守ってあげたいものです。それまでの食生活や親の態度が毅然としてさえいれば、必ず子どもは帰ってきます。幼少期の基盤となるものがしっかりと築かれてさえいれば、生きものは必ず古巣へ帰ってくるものです。
古巣となるような心と体のふるさととなる「食卓」を、できるだけ早い時期からきちんと提供してやることが、親自身にとっても後々手を焼かずに済むでしょう。
「教育は人作り。人は食べ物が作る」 200年も前に語られた、心理学者ルソーの言葉です。
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