最初が肝心

自己中心的な人は長生きし、お人よしの人は早死にする、と聞きます。つまり自己中心的な人は、自分流に物事を運ぶのでストレスが溜まらないのでしょう。ストレスは万病の元ですから。周囲のリズムを乱してでも自分の意思を貫こうとするのは、時に反感を買い、敵を作りますが、あくまでの自分が中心の人ですからそんなの平気です。

これを、学校給食を拒否してお弁当持参を貫く場面と比較してみましょう。私は長女が年長組の頃から、配布された献立表から「食べる」「食べない」を自由に選択して、食べない献立の日はお弁当を持たせていました。今その娘も公立小学校1年生ですが、まったく同じスタイルで、学校給食を「自由選択制」に変えています(診断が出るようなアレルギー体質ではありません)これは、謙虚な言い方をすれば大変な自己中心的な行動だと自覚はしています。

学校と言う1つの小さな社会の中で、「昼食は皆と同じものを頂く」というリズムを乱しているのは確かでしょう。1人だけ別のものを食べていれば注目の的になりますし、教師もそれをフォローする業務が増えます。それでも「食べさせたくない(食べられない)から持参する」というスタイルです。

ある意味身勝手な行動と思いますが、私がそうするのは、「今の学校給食の内容(質と献立構成)に疑問がある」ことと、「3食親の手料理で育てたい」という想い、「人間の土台を築く途中の子どもに、安全で愛ある食べ物を与えたい」という考えがあるからです。

味覚を形成する大切な時期に、缶のスープの素や、冷凍鶏卵液、漂白した海老、油と添加物たっぷりのカレールーなどはご遠慮します、という訳です。「3食の内のたかが1食じゃない」「皆と同じ物を食べる環境から学ぶものもあるのでは?」などの意見も確かにあります。でも私にとっては「生涯の味覚を左右する毎日の大切な1食」なのです。

私の元へ、よく給食を与えたくないのだけど、とか、せめて牛乳だけでも飲ませたくない、学校側(保育園や幼稚園側)とどうやり取りしたらいいか?という相談が多々寄せられます。どなたにも必ず言うのは
  『最初が肝心』
ということです。親自身が「お弁当持たせる」と決めたのなら、もう迷わずに、誰に何を言われようと貫く意思と覚悟が、ある意味必要でしょう。家族の協力も必要です(協力せずとも、せめて批判はしてほしくないものです)。

親に迷いがあると子どもも揺らぎます。揺らいだ子どもは、ますます「何で自分だけがお弁当なのか?」と、お弁当を恥ずかしがるようになります。恥ずかしいが嫌いになり、食べたふりして学校のゴミ箱に捨てる子もでてきます。そうなったら最悪です。

ここはやはり「最初が肝心」ということに尽きます。お弁当と決めたい上、それを決めた親も、必ずお弁当の日は持たせること。夕べの残り物の詰め合わせでも何でも良いのです。お弁当箱の8割はご飯。残り2割は、常備菜を詰め合わせればそれでOK。ご飯さえ炊いてあれば、早起きすることもありません。

最初にも書いたように、自己中心的な人は敵を作ることもありますから、こういう周囲と違う行動を取ると、いわば「変わったお母さん」という存在になることも覚悟しておくと良いです。逆に「変わったお母さん」と最初に思われることは、後々色んな意味でやりやすくなります。この人はこういう人なんだ、と思われると、身勝手な行動もスムーズに行えるようになります(?) 周囲にとって「変なお母さん」でも、わが子の健康第一優先の結果なのだから、私の場合は何を言われようと平気です。

こういった「最初が肝心」の意味を踏まえて、次回お弁当持参にあたってのHowTo会話編を書いてみようと思います。お楽しみに。

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